最近、SNSの世界で少し不思議な変化が起きています。
きれいな写真を載せる。
おしゃれな場所を見せる。
面白い出来事を投稿する。
そんな「見せるためのSNS」とは少し違うサービスが、若い世代の間で存在感を強めています。
その一つが、短い動画で日常を記録し、親しい友人と共有するVlogアプリ「setlog(セットログ)」です。
ここで興味深いのは、若者がSNSそのものを嫌いになったわけではないことです。
むしろ、友達とはつながっていたい。日常も共有したい。
ただし、
「人に見せるための自分を、ずっと作り続けるのは疲れる」
という感覚が強くなっているのではないでしょうか。
今回はsetlogの広がりを入口に、「映えないSNS」がなぜ心地よく感じられるのかを考えてみます。

いま何が起きている?――setlogが若い世代に急拡大
setlogは、日常の短い動画を撮影し、友達とVlogのように共有できるSNSです。
App Storeのsetlog公式ページでは、「毎時間のちょっとした瞬間を、友だちと一緒にVlogに残そう」と説明されています。Google Playでは100万回以上のダウンロードが表示されており、2026年に入って存在感を強めています。
日本での急拡大を示す調査もあります。
株式会社パレンテが2026年7月、全国の中学生から大学生・専門学生など479人を対象に実施した調査では、setlogの認知率は91.4%、利用率は73.7%でした。
さらに利用開始時期について、利用者の93.1%が「3カ月以内」と回答しています。
ただし、この調査は回答者479人のうち女性が414人を占める「学割」アプリ利用者への調査です。そのため、「若者全体の7割が利用している」と一般化するのではなく、調査対象となった学生層で急速に浸透したことを示す数字として見る必要があります。
そして、今回のテーマを考えるうえで重要なのが「何に魅力を感じるか」です。
同調査では、最も多かった回答が「BeRealのように通知に追われず、自分のペースで記録できる」で35.3%。つながっている相手では「学校の親しい友達」が75.9%と突出していました。
つまり、ここで求められているのは「SNSを使わない生活」ではありません。
つながることはやめない。
でも、つながり方は軽くしたい。
そんな変化が見えてきます。
なぜ「映えない」ことが魅力になるのか?
SNSで写真を投稿するとき、私たちは意外と多くのことを考えています。
この写真で大丈夫か。
変に思われないか。
ほかの人より地味ではないか。
どれくらい反応されるだろうか。
もちろん、毎回そこまで深刻に考えているわけではありません。
それでも、不特定多数や広い人間関係に向けて発信する場所では、「誰に見られるか」が完全には分かりません。
学校の友達も見る。昔の友達も見る。知り合いも見る。場合によっては知らない人まで見る。
すると投稿は、単なる「今日の記録」ではなくなります。
「私はこういう人です」と提示する、小さな自己紹介になっていく。
SNSでは「日常」がいつの間にか「作品」になる
たとえばカフェに行ったとします。
本来なら、
「コーヒーを飲んだ」
だけの出来事です。
ところがSNSへ投稿しようとすると、
どこから撮るか。
背景はどうするか。
どの写真を選ぶか。
文章をどうするか。
という編集作業が始まります。
つまり、
体験する
↓
撮影する
↓
選ぶ
↓
整える
↓
公開する
↓
反応を見る
という工程が加わります。
日常を共有するはずだったSNSで、いつの間にか**「共有できる形に日常を加工する」**ようになるわけです。
ここに疲れが生まれます。
だから「映えないSNS」の魅力は、単に雑な写真を投稿できることではありません。
もっと重要なのは、
「ちゃんと見せなくても成立する場所」
であることなのではないでしょうか。
ManiaMatrixで読み解くと?――「数字で揺れる自尊心」から降りられる
今回の現象をManiaMatrixの25マスで見ると、主マスとして注目したいのは、
D×①「数字で揺れる自尊心」
です。
これはデジタル空間において、他人との比較や反応の数字によって、自分の評価まで揺れやすくなる構造です。
ここで重要なのは、setlogそのものがこのマスを強く動かしている、という意味ではありません。
むしろ逆です。
従来のSNSで強く働いていたこの構造を弱めることが、setlogの魅力になっている。
そう考えることができます。
一般的なSNSでは、
投稿する
↓
人に見られる
↓
反応が数字になる
↓
他人の投稿も見える
↓
無意識に比較する
↓
次はもう少し良く見せようとする
という流れが起こりやすくなります。
すると、「何を投稿したいか」だけではなく、
「どう見られる自分でいたいか」
が投稿に入り込んできます。
setlogでは、親しい友達を中心としたクローズドな共有が特徴になっています。ITmediaも2026年9月、フォロー/フォロワーという概念がなく、グループ内で交流する設計を若者に支持される特徴として挙げています。
見る人が「世間」から「いつもの友達」へ変わる。
それだけでも、自己演出の必要量は下がります。
副マスはD×⑤「タイムラインと同化」
もう一つ関係するのが、
D×⑤「タイムラインと同化」
です。
SNSを長く使っていると、流れてくる投稿から「この場所では、こういう自分を見せるもの」という暗黙の基準を学んでいきます。
おしゃれな投稿が並べば、自分も少し整えたくなる。
楽しそうな日常が並べば、自分も楽しそうな瞬間を選びたくなる。
誰かに命令されたわけではありません。
それでもタイムラインを見続けるうちに、
「投稿する自分」と「実際の自分」の間に編集作業が生まれる。
今回の変化は、その編集作業を完全になくしたというより、
「そこまで編集しなくていい場所」
へ人が移動している現象と考えた方が近いでしょう。
これはSNSだけの話ではない
この心理は、SNSだけに起きているものではありません。
人間は昔から、相手や場所に応じて自分の見せ方を変えてきました。
会社では仕事用の自分になる。
初対面では少し丁寧になる。
親しい友人の前では力が抜ける。
つまり、ある程度の自己演出そのものは特別なことではありません。
問題は、スマートフォンによって「見られる可能性のある場所」が日常の中へ入り続けるようになったことです。
食事も、旅行も、趣味も、何気ない一日も、「投稿できるもの」になりました。
すると私たちは、生活しながら同時に、
「この瞬間は人にどう見えるだろう」
という視点を持つことができます。
便利で楽しい一方、それは日常の中に小さな観客席を持ち歩くことでもあります。
だから人は、SNSから完全に離れるのではなく、
観客の少ないSNS
を求め始めるのかもしれません。
これは一見すると矛盾しています。
人に見せたくないなら、投稿しなければいい。
でも、それでは友達との共有までなくなってしまいます。
求めているのは「孤独」ではありません。
評価されずにつながること。
ここが重要なのではないでしょうか。
まとめ――「映えない」のではなく、「演じなくていい」
setlogの流行だけを見れば、「若者の間で新しいSNSが流行している」という話です。
そしてsetlog自体が定番になるかどうかは、まだ分かりません。実際、パレンテの調査では利用者の51.0%が「一時的な流行で終わると思う」と答えています。
しかし、サービスが変わっても残るものがあります。
それは、
人はつながりたいが、つながるたびに自分を評価されたくはない
という感覚です。
「映えるSNS」から「映えないSNS」へ。
これは単純な流行の反転ではないのかもしれません。
人に見せる自分を作り続ける場所から、少しだけ降りる。
きれいに見せなくてもいい。
面白い出来事がなくてもいい。
特別な一日でなくてもいい。
そう考えると、「映えない」ことそのものが人気なのではありません。
人気になっているのは、
「ちゃんと見せなくても、ここにいていい」という軽さ
なのではないでしょうか。
SNSをやめたいわけではない。
ただ、ときどき「見せる自分」を休みたい。
映えないSNSの広がりから見えてくるのは、そんな現代のコミュニケーションの形なのかもしれません。