お風呂に入る…
少し前までなら、そこは生活の中でも比較的「何もしない時間」が残りやすい場所でした。
湯船につかる。ぼんやりする。今日あったことを思い返す。あるいは、本当に何も考えない。
ところが今、その時間にもスマホが入り込んでいます。
2026年に行われた調査では、20代の約7割がお風呂にスマートフォンを持ち込むと回答しました。
なぜ、私たちはお風呂にまでスマホを持っていくのでしょうか。
「スマホが好きだから」「動画を見たいから」だけでは、少し説明が足りないように思えます。
むしろ考えてみたいのは逆です。
刺激が欲しくなったというより、刺激がない状態をそのまま過ごしにくくなっているのではないか。
今回は、お風呂という場所から、生活の中で静かに消えている「何もしない時間」について考えてみます。

いま何が起きている?――20代の70.1%が「お風呂スマホ」
株式会社AZWAYが2026年6月、20~60代の男女300人を対象に実施した「サウナ・お風呂・温浴でのリフレッシュ習慣」に関する調査では、お風呂にスマートフォンを持ち込む人は全体の46.0%でした。
年代別では差が大きく、20代では70.1%。30代53.1%、40代31.8%、50代28.6%、60代13.3%となっています。
スマホの主な用途は「動画・YouTube・Netflix」が24.0%、「SNS」が13.0%でした。調査規模は300人で、20代の回答者は67人なので、日本の20代全体をそのまま表す数字とは言えません。それでも、若い世代ほど入浴中にもスマホを持ち込む傾向が表れた点は興味深いところです。
さらに面白いのは、同じ調査で「デジタルから離れて、考え事やぼーっとする時間にしている」が26.0%で、「お風呂を特別な自分時間としてどう過ごすか」という設問の最多回答だったことです。
つまり現在のお風呂には、二つの方向が同時に存在しています。
スマホを持ち込み、コンテンツを楽しむ場所。
そして、あえてデジタルから離れ、ぼーっとする場所。
これは単なる「スマホ派か、デジタルデトックス派か」という好みの違いだけではないでしょう。
その奥には、何も起きていない時間をどう感じるかという変化が隠れているように見えます。
なぜお風呂までスマホを見てしまうのか?
お風呂でスマホを見る理由を、「スマホ依存だから」と片づけるのは簡単です。
しかし、それではなぜ電車や待ち時間だけでなく、お風呂という本来スマホを必要としない場所にまで画面が入り込むのかが見えてきません。
スマホが埋めているのは「時間」より「無刺激」
ここで注目したいのは、スマホが便利になったことだけではありません。
スマホを開けば、数秒で何かが起こります。
動画を開けば映像が流れる。SNSを開けば新しい投稿がある。ニュースを開けば知らなかった情報がある。メッセージを開けば誰かとのつながりを確認できる。
つまりスマホは、「何も起きていない状態」をほぼ瞬時に変えられる装置です。
すると、こんな小さな学習が生活の中で繰り返されます。
退屈する
↓
スマホを開く
↓
何かが起きる
↓
退屈が薄れる
これを何度も経験すれば、スマホを見ることだけが習慣になるわけではありません。
もう一つ変わる可能性があります。
それは、何も起きていない状態にとどまる経験そのものが減ることです。
「退屈だから見る」から「退屈になる前に見る」へ
最初は「暇だからスマホを見る」だったかもしれません。
しかし、空白が生まれるたびに画面を開ける環境では、やがて退屈を十分に感じる前から手が伸びるようになります。
エレベーターを待つ数十秒。
信号待ち。
電車が来るまでの2分。
寝る前。
そして、お風呂。
ここまで来ると、スマホは「退屈したときに使う道具」というより、退屈が発生する前に空白を埋める道具になっていきます。
生活から退屈がなくなったというより、退屈が立ち上がる前に刺激を差し込めるようになった、と考えた方が近いでしょう。
ManiaMatrixで読み解くと?――D×③「反応が出るまで回す」
今回の現象をManiaMatrixの25マスで考えるなら、主マスは D×③「反応が出るまで回す」 です。
これは「デジタル中毒の構造」×「即時フィードバック」の組み合わせです。
ポイントは、必ずしも「いいね」や通知だけがフィードバックではないことです。
画面を開いた瞬間に新しい情報が現れる。
スワイプすれば次の動画が始まる。
タップすれば音や映像が変わる。
自分の行動に対して環境がすぐ変化すること自体が、小さなフィードバックになります。
すると、
何も起きていない
↓
スマホを触る
↓
すぐ何かが起きる
↓
無刺激状態から抜けられる
↓
次の空白でもスマホを触る
という循環ができます。
ここで重要なのは、スマホ側の刺激がどんどん強くなることだけではありません。
「何も起きない側」の価値が相対的に下がっていくことです。
「刺激が欲しい」より「刺激ゼロが物足りない」
2024年に『Journal of Experimental Psychology: General』で発表された研究では、7つの実験、計1,223人を対象に、動画を切り替えたり早送りしたりする「デジタル・スイッチング」と退屈の関係が調べられました。
参加者は退屈すると動画を切り替え、切り替えれば退屈が減ると予想していました。
ところが実験では、動画を次々と切り替える行動は、場合によっては逆に退屈を強め、満足感や注意、意味を感じる程度を低下させました。
もちろん、この研究だけから「お風呂スマホが退屈耐性を低下させる」と断定することはできません。
ただ、ここには興味深い循環が見えます。
退屈を避けるために刺激を探す。
しかし、刺激を次々に切り替えることで、じっくり何かに浸る時間が減る。
すると、また次の刺激を探したくなる。
つまりデジタル環境では、退屈から逃げる行動そのものが、退屈との付き合い方を変える可能性があるのです。
これは「お風呂スマホ」だけの話ではない
ここまで考えると、お風呂にスマホを持ち込むこと自体が問題なのではありません。
動画を見ながらゆっくり入浴することが、その人にとって楽しい時間なら、それも一つの過ごし方です。
興味深いのは、その行動がどこまで広がっているかです。
以前のManiaMatrixでは、「すき間時間を全部スマホで埋めてしまう」という現象を取り上げました。そこでは、30秒や1分という小さな空白にも即座に刺激を入れられるようになった「刺激までの距離」に注目しました。
今回のお風呂スマホは、その次の段階として見ることができます。
すき間だけではなく、もともと何もしなくても成立していた時間にまで刺激が入ってきている。
待ち時間は、もともと「何かが始まるまでの空白」です。
しかしお風呂は違います。
入浴そのものが一つの行動として成立しています。
それでも別の刺激を重ねたくなる。
料理をしながら動画を見る。
食事をしながらSNSを見る。
歩きながら音声を聞く。
寝る直前まで画面を見る。
一つの行動だけでは刺激が少なく感じ、別の刺激を重ねる。
こうして生活は、少しずつ「一つだけをしている時間」から「常に何かが追加されている時間」へ変わっていきます。
2026年のクロス・マーケティングの調査では、お風呂を有意義・快適にするために行っていることとして「何もしない・何も考えずボーッとする」が29.2%で最多でした。
何もしないことが、わざわざ一つの「過ごし方」として意識される。
このこと自体、少し象徴的なのかもしれません。
かつて自然に残っていた空白が減ったからこそ、「ぼーっとする」が意識的に選ぶ行動になり始めているとも考えられます。
まとめ――消えているのは「退屈」ではなく、退屈するまでの時間かもしれない
20代の70.1%がお風呂にスマホを持ち込むという調査から見えてくるのは、単なる若者のスマホ利用率ではありません。
もっと興味深いのは、スマホによって「何も起きていない状態」をすぐに終わらせられるようになったことです。
退屈する
↓
刺激を探す
だけではありません。
現代では、
空白が生まれる
↓
退屈する前にスマホを開く
↓
すぐ刺激が返ってくる
↓
空白を経験する時間が短くなる
↓
次の空白でもスマホを開く
という循環が成立します。
だから「お風呂までスマホを見る」という現象は、スマホ依存だけの話ではありません。
それは、私たちの生活から**「何も起きないまま時間が過ぎる経験」が少しずつ減っている**ことの表れなのかもしれません。
スマホが悪いわけでも、ぼーっとすることが正しいわけでもありません。
ManiaMatrixが見たいのは、そのどちらを選ぶべきかではなく、
人間は、いつから「何も起きていない状態」を、埋めるべき空白として感じるようになるのか。
という構造です。
お風呂にまで入ってきた小さな画面は、私たちがスマホをどう使っているかだけでなく、「刺激がない時間」をどう感じるようになったのかまで映しているのかもしれません。